全世界ETF(2559)を下がった日に買い増している話
インデックス投資の話をすると、決まって「オルカン一択でしょ」「それが最適解」という、賢明な優等生たちの声が返ってくる。
わかっている。効率だけを見れば、ぐうの音も出ないほどその通りなのだ。
今年の初め、私は長年連れ添った個別株を大幅に整理した。
日本株も米国株も、気がつけば50銘柄以上に膨れ上がっていたポートフォリオを潔くスリムにして、その資金を2559(MXS全世界株式)へと引っ越しさせたのである。
「選ぶ」という行為を手放したはずなのに、この銘柄だけはどこか別の愛着がある。全世界を一枚で抱きしめているような、妙な頼もしさとでも言えばいいか。
投資信託とETF、何が違うのか
2559は、いわゆる全世界株式のETF(上場投資信託)だ。
同じ「全世界」を買い付けるにしても、投資信託とETFとでは、その肌触りが少し違う。
投資信託は注文した翌日以降の基準価格で「おまかせ」で売買される。
一方、ETFは普通の株と同じ。市場が開いている間はリアルタイムで値段が動き、自分の指値で売買できる。
| 投資信託(オルカン) | ETF(2559) | |
| 売買タイミング | 翌日以降 | リアルタイム |
| 分配金 | 再投資型が多い | 年2回受取 |
私はこの特性をいいことに、市場が少し下がった日を狙って、ちょこちょこ買い増している。
新NISAで毎月オルカンを自動積み立てするのとは、また別の愉しみだ。
あちらが感情を「無」にして淡々とこなす義務教育なら、こちらは「さあ、今日は買い時かしら」と、自分の目利きで遊ぶ大人の放課後。
暴落した朝のSNSがざわめいている横で、静かに指値を入れる瞬間のあの感覚が、なんとも言えず好きなのである。
そんなことを繰り返しているうちに、気づけばこの1銘柄への投資額は1000万円を超えていた。最初から1000万円入れようと思っていたわけではない。
下がった日に少しずつ買い増していたら、いつの間にかそうなっていたのである。
配当は「勝手に入ってくるお金」の贅沢
年2回、分配金(配当)が出る。
理屈の上では、これで運用効率が下がることは百も承知だ。再投資に回されない分、複利の恩恵を取りこぼす——投資の教科書を開けば、1ページ目にそう書いてある。
でも最近、ふと思うのだ。
老後に、自分が築いた資産を「取り崩す」という行為は、世間が言うほど簡単ではないのではないか、と。
いくら画面上の含み益が増えていても、いざ売るとなると身を切られるように怖い。
市場が暴落しているときなら、なおさらだ。「もう少し待てば戻るかも」と未練を残しているうちに、結局動けなくなるのがオチである。
その点、配当はいい。
こちらの都合や決断なんてお構いなしに、黙って口座に振り込まれる。
自分で自分の資産にハサミを入れる、あの罪悪感がないのだ。
正直に言って、今の私にとって年間12万円ほどの配当は、人生を大逆転させるようなゲームチェンジャーではない。
けれど、これが70代、80代になったとき。
この「私の意志とは関係なく勝手に入ってくるお金」の存在感は、今とは比べものにならないくらい、心の支えになっている気がしてならない。
手間もかからない。判断も要らない。ただ、届く。
それだけのことが、歳を重ねた先ではどれほどありがたいか——今から少し、楽しみにしている。
歳をとると、投資の意味が変わる
正しさよりも、続けられること。
完璧な仕組みよりも、枕を高くして眠れる安心感。
インデックス投資は「最適解」と言われるけれど、最適解が自分の「快適解」と一致するとは限らない。
ETFという形で全世界を持ち、半年に一度配当を受け取りながら、下がった日に少しだけ買い増す。
この小さなリズムが、今の私にはちょうどいい。
歳を重ねるということは、投資の「正解」を、自分だけの「快適さ」に書き換えていくプロセスなのかもしれない。
※本記事は個人の投資経験に基づくものであり、特定の銘柄・投資手法を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任でお願いします。
世の中に本当の意味で『無料』なものなんて存在しないわ。良質なものをいただいたら、それに見合った感謝を形にする。それが大人の礼儀というものでしょう。押せばアラ還主婦たちのつぶやきに会えるわよ


