200万円の金ピカ仏壇が、今日もリビングの主です

暮らしとお金

俺は長男だから


義父が亡くなったとき、義母が仏壇を買った。
金ピカで、まあまあ大きな、200万円の仏壇である。
その義母もやがて亡くなり、
ある日突然、その仏壇が我が家にやってきた。
事前の相談は、一切なかった。

「俺は長男だから」

夫が発した言葉は、それだけだった。
説明でも相談でもなく、ただの通告。

80平米弱のリビングに、200万円が降臨した


我が家は80平米弱のマンションだ。
しかもその少し前、和室をわざわざリフォームして、
フローリングの広々としたリビングに作り替えたばかりだった。
壁紙も床材も、家具の色味も、全部その計画に合わせて選んだ。
そこへ、金ピカの巨大な仏壇である。統一感も何もあったものではない。
インテリアに合うコンパクトなものに買い替えてほしい、と一応お願いはしてみた。
返ってきた答えはこうだ。

「200万円だぞ。買い替えなんてありえない」

そうですか。
金額の話しかしていないところに、この家の力関係がすべて表れている気がした。

供えろ、供えろ、そして供えろ


それから我が家では、何かにつけて仏壇が最優先事項になった。

頂き物があれば、まず供えろ。
食事の前に、まず供えろ。

何をするにも、

まず仏壇。まず仏壇。仏壇。仏壇。仏壇。

子どもたちは次第に、あからさまに不満そうな顔でお供えをするようになった。
めんどくさそうに手を合わせ、さっさとその場を離れる。
子どもの反応は正直だ。
ご先祖様への感謝を、力づくで叩き込もうとした結果がこれだった。
感謝は教育できても、強制はできない。
この家はその実験に、見事に失敗したケーススタディである。

ご先祖様は、本当にバチを当てるのか


ここでずっと抱えていた違和感を書いておきたい。

「ご先祖様を大切にしないとバチが当たる」

という、世間でよく聞く脅し文句への、根っこからの違和感だ。
かつてテレビで一世を風靡した占い師も、盛んにこの手の話をしていた。
ご先祖様を大切に、と。
それはそうだ。そこは分かる。
でも一度、立ち止まって考えてみてほしい。
自分の子どもや孫、その先を生きる子孫たちの不幸を願うご先祖様なんて、本当にいるのだろうか。
もし私自身が、あちら側の住人になったとして、

「まず私に美味しいものを供えなさい」
「もっと私に感謝しなさい」
「さもなくば、バチを当てるわよ」

――愛おしい、可愛い自分の子孫に向かって、そんなことを思うだろうか。

思わない。絶対に、思わない。

「バチを当てるご先祖様」というのは、一体だれの都合で作られたファンタジーなのだろう。
私には、生きている側の誰かの都合にしか見えない。

信心は、強制では育たない


子どもたちは今、すっかり大人になった。
仏壇の話になると、呆れたようにこう言う。

「そこまでご先祖様に感謝しなきゃいけないなら、お父さんが一人でやればいいじゃん」

義務と強制のなかで、信心は育つどころか、静かに息絶えていった。
子どもたちの言葉が、それをいちばん正確に言い当てている。
200万円の仏壇は、今日も変わらず金ピカのまま、私たちのリビングの一角に、
所在なさげに鎮座している。統一感のないインテリアの中で、
ひとりだけ場違いな存在感を放ちながら。

そして時々思う。あの200万円は、一体誰のためのお金だったんだろうと。
少なくとも、今この家で日々仏壇と向き合わされている子どもたちのためではなかったことだけは、
確かだ。


※本記事は筆者個人の経験と見解に基づくものであり、特定の宗教・信仰・供養の形を否定する意図はありません。仏壇や供養との向き合い方は各家庭の事情によって異なります。

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