子育てしながらフルタイムで走り抜けた私の老後は「自己責任」ですか?

暮らしとお金

年金3号縮小、小議論本格化。新聞の見出しに思った


今朝の新聞のその見出しを見て思った。

「またこの話か」と。

第3号被保険者。
会社員や公務員の妻(たまに夫)で、条件を満たせば自分で保険料を払わなくても
「年金の加入期間」としてカウントされる魔法のような制度。
はいはい、知ってます。
何十年もこの制度の「外側」で、せっせと給与からごっそり保険料をむしり取られ続けてきたから、
嫌というほど知っている。

別に専業主婦が憎いわけじゃない

先に言っておく。
専業主婦が嫌いなわけじゃない。
パートで扶養内に収めて賢く生きている人を見下すつもりも一切ない。
小さい子どもがいて働けない事情、預け先がない事情、夫の転勤についていく事情。
家庭の数だけドラマと事情がある。
そんなことは百も承知だ。

ただね。

「じゃあ、必死でフルタイムで働いてきた私は何だったのよ?」
という話なのだ。
保育園を探し回って、高い保育料を払い、朝から晩まで働いて。
子どもが熱を出せば職場に頭を下げて早退し、家に帰れば怒涛の母親業に妻業。
そうやって身を削って働いた給与明細を見ると、税金と社会保険料が恐ろしい額で引かれている。
「これだけ働いて、手取りこれ?」と何度絶望したか分からない。

「そんなに大変なら、扶養内で働けばよかったじゃない」

そう言う人もいる。でもね、それじゃ家計が回らなかったから働いたのだ。
働くしかなかったのだ。

「あなたが選んだ生き方でしょ」で片付けられる理不尽


長年この制度を眺めてきて、あるグロテスクな現実に気づく。
上手に扶養の範囲に収めてきた人のほうが、トータルで得をしていないか?
夫の稼ぎが十分にあって、妻は扶養内パート。
社会保険料はかからず、会社によっては家族手当までつく。
一方で、夫婦でフルタイムで働き、税金も社会保険料もダブルで納め続けた我が家。
世帯の手取りを比べてみると、大差がないどころか、むしろ扶養内の家庭のほうが生活に余裕があったりする。
しかも扶養内なら働く時間を調整できて、学校行事にもしっかり顔を出せて、
職場の面倒な責任も負わずにすむ。
それが悪いとは言わない。生き方の要領がいいのだと思う。
ただ、血吐く思いで働いてきた側からすると、どう考えても割に合わないのだ。

「あなたが選んだ生き方でしょう」

絶対にそうやって自己責任論を振りかざす人がいる。
確かにそうだ。
でも、その一言で片付けられるほど甘い話じゃない。
「働かない(抑える)という選択肢がある家庭」と、
「働かなきゃ今日・明々の生活が回らない家庭」は、
スタートラインからして違うのだ。
私だって、夫の収入だけで老後まで安心できる保障があったなら、
違う働き方を選んでいたかもしれない。でも現実は甘くなかった。
だから働いた。
子どもを保育園に預けてでも、歯を食いしばって働いた。
そうやって社会と制度を底辺から支えてきた自負はある。
なのに、働く必要があった人間ほど負担が重く、結果的に制度の上では
「働かなかった(抑えた)人」が得をする。
この仕組み、正直どう考えても納得がいかない。

年金を調べれば調べるほど湧き出る「モヤモヤ」


年金制度を調べれば調べるほど、遺族年金なんかも含めて似たような虚無感に襲われる。
現役時代、働いて稼げば稼ぐほど保険料の負担は増える。
しかし、いざという時に「払った分だけきっちり還元される」という単純な構造にはなっていない。
助け合いの「保険」なのだから、単純な損得勘定で語れないのは分かっている。
頭では分かっているけれど、人間だもの。
何十年も時間と戦い、税金を払い、保険料を納め、なりふり構わず子どもを育ててきた身からすれば、「私、十分すぎるほど社会に還元してきましたよね?」と思ってしまう。
それの何が悪いのだろう。

頑張った人が「バカを見た」と思わない制度にしてほしい


専業主婦から権利を奪い取れと言いたいわけじゃない。
子育て中の人を守るセーフティネットは絶対に必要だし、
働けない事情がある人を支える制度も不可欠だ。
ただ、その隣で、生きるために必死で働いてきた人間が、老後になって
「あれ? 私、頑張って働かないほうが良かった?」と脱力してしまうような制度は、
あまりにも酷じゃないか。
高い保育料を払い、熱を出した子どもを心配しながら出社し、職場で責任を負い、
家に帰れば家事と育児。それを何十年。
それを「好きで働いていたんでしょう」のひとことで片付けないでほしい。
そりゃあ、仕事が好きだった部分もある。
社会とつながっていたかった気持ちもゼロじゃない。
でも、「生きるために、選択肢なく働くしかなかった人間」だって、確実に存在するのだ。
そういう人たちが老後を迎えたとき、「頑張って損したな」なんて思わずにすむ制度であってほしい。
願うのはそれだけだ。
だって、私たちはちゃんと働いたのだから。
子どもを育てながら、逃げずに、泥臭く働いてきたのだから。
その足跡まで、最後に「自己責任」という冷たい言葉で踏みにじられたら、
あまりにも救われない。

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